「で、結局どうするの?」
私たちは、答えを急がせる世界に生きています。
曖昧な状態、不確かなまま進むことは、“良くないこと”だとされがちです。
けれど私は最近、「曖昧さを抱えたまま、少しだけ待つ」ことの大切さを実感するようになりました。
それは、すぐに答えを出すことよりも、はるかに勇気のいる行為です。
決断を急ぐと、思考が止まる
私たちは、不安を解消したくて“答え”を出したくなります。
白か黒か、YesかNoか。すぐに判断することが、賢明であるかのように思われています。
しかし、本当にそうでしょうか?
時に「すぐに結論を出す」ことは、思考の放棄に近い場合もあります。
- まだ情報が出揃っていない
- 相手の気持ちが変化していくかもしれない
- 自分自身の見方も揺らいでいる
それでも「とりあえず決めてしまう」のは、一種の自己防衛です。
けれど、その結論が未来において妥当かどうかは、誰にも分かりません。
曖昧さを抱えるという知性
ここで大切になるのが、「曖昧さを抱える力」です。
すぐに白黒をつけずに、「まだ分からないけれど、それでも考え続ける」という姿勢。
これは優柔不断とは違います。
むしろ、自分の判断の未熟さや、状況の流動性を受け入れる成熟した知性です。
- 相手の発言に一貫性がなくても、数週間後には腑に落ちることがある
- 今は矛盾に見える情報も、時間が経てば整合してくる場合がある
- すぐに答えが出ないことほど、大切な問いである可能性がある
人間の思考は「時間」を含めるのが苦手
ここで一つ、認知的に重要な視点があります。
人間の思考というのは、**「ある時点のスナップショット」**としては得意でも、
**「時間的な推移を含んだ思考」**を行うのは、あまり得意ではありません。
つまり、今この瞬間の矛盾や違和感に耐えられず、「破綻している」と判断してしまいがちです。
でも実際には、それが後からつながることがある。
例えば、日本国憲法における「自衛隊の存在」は長年、合憲か違憲かで議論されてきました。
武力の放棄を掲げる憲法と、自衛の名を冠しながらも実質的な軍事力を持つ自衛隊。
この矛盾は、ある一点で見ると思考が止まりそうになります。
しかし、時間の流れと視点を変えて見るとどうでしょうか。
これはアメリカの都合――つまり、日本の占領統治・冷戦構造・アジア戦略――によって要請された変化だと分かります。
終戦直後のアメリカにとっては「日本の非武装化」が重要だった。
しかしその後、冷戦下でのアジア戦略が変わり、「日本の再軍備」がむしろ必要となった。
同じアメリカの立場から時間をまたいで見れば、何も矛盾していないのです。
プロジェクトでもこれに似たことが起こります。
ある時点では「方針がぶれている」「矛盾している」と感じられる意思決定も、
半年後に別の条件が整ったとき、最初の判断と矛盾しない形で着地することがあります。
曖昧さとは、矛盾ではなく**「時間を要する問い」**なのかもしれません。
PMにおける曖昧さ
プロジェクトマネジメントの現場でも、「まだ決められない」ことはよくあります。
- 要件が変動している
- 関係者の意見がまとまらない
- 解決には別のプロジェクトが動かないといけない
こうした曖昧さを、「無理やり決めることで消す」PMもいますが、
私はむしろ「しばらく抱え続ける」ことができるPMのほうが、信頼できると感じています。
なぜなら、曖昧さはリスクではなく、可能性の幅だからです。
「一時停止」ではなく「未来への保留」
曖昧さに耐えることは、勇気です。
今すぐに白黒をつけず、時間の中で解像度が上がってくるのを待つ。
それは、未来の自分を信頼する行為でもあります。曖昧さを恐れず、抱えたまま前に進む。そうすることでしか、見えてこない答えがある。
曖昧さとは、判断の放棄ではありません。
それは、「今はまだ時間が必要だ」と認めることであり、
その時間の中で、現実と自分自身の両方が育っていくのを許すことなのです。